昨日、こんな記事を書きました。
これに対し、多くの人が共感の引用ツイートをしてくれました。非常に嬉しいなーって思います。
もちろん、共感できない人もいるだろうし、それはひとつの意見として尊重したいと思う。ただ、影でコソコソと皮肉を言ってるだけの人とは話す価値もない。
オープンに出したとしても、あらかじめ息のかかったごく一部の身内と、意見に保険をかけて、何かを主張するわけでもなくコソコソやってる。
マジでダサい…
僕にできることは、そういう人たちが虚しくなるくらい動いていろんなことを経験すること。経験したことを発信して、前に進もうと思ってる人の役に立つこと。これしかない。引き続きがんばろうと思います。
というわけで、もうクラファンの件は直接の意見交換でない限りスルーします。また時間たって知らない人が増えたら言うかも。みんなもこういうのに付き合わなくていいですよ。ロジックで伝えたつもりだけど、そこ抜けて人格否定になると同じことになってしまいますからね。自分のことに集中しよう。
— わいざん|横山 文洋 (@yzan_travel) 2019年3月31日
さて、そんなわけでここからは前に進みたい人のために記事を書いていきたいと思います。
目次
クラウドファンディングの悪い面
昨日はクラウドファンディングの良いところを書いたので、今日は悪いところをしっかり書いておきたいと思います。間違ってはいけないのは、物事には必ず両面があるという事。クラウドファンディングで得られるものもあれば、失うものもあるという事です。
関われることが嬉しいという魅力
昨日の記事をTwitterに投稿したところ、引用ツイートでこのような趣旨の言葉を多くいただきました。
- 関われることが嬉しい
- 少しでも役に立てて嬉しい
これ、まさにその通りで、これこそがクラウドファンディングの魅力です。
「何かに関わっている」
というのは、現代では最重要価値を感じられると思います。それはSNSがあるから。誰しもが発信者になったことで、「●●を見てきた」よりも「●●に関わってる」ということの方が価値を感じるんですよね。
「しなやかフェスに行ってきた」よりも「しなやかフェスを作った」の方が満足度が高いということです。
「友達が作ったガレージがすごく素敵でね…」よりも「あのガレージ、オレもちょっと関わってるんだよね」の方が楽しいということです。もちろん、僕らもそこはドヤってもらった方が嬉しいです。
要は、クラウドファンディングを支援するって楽しいんです。
支援したプロジェクトがその後どうなったかをSNSで見れる。自分の関わったプロジェクトが成功すると自分ごとになる。
競馬で馬券を買った馬が勝つと、自分もレースに勝ったような高揚感を得られます。その馬のことを好きになります。どんどんのめり込んでいってしまう。そんな感覚に似てますね。そんな時、一番怖いのは限界を超えて賭けてしまうことです。
だからギャンブルやるなら自分の賭け金を知ることがいちばん大事なんです。ギャンブルで勝つのに一番大事なのは、実はマネーマネジメントです。
限界を超えて支援しようとしてしまう
気づけば支援するのが楽しくなって、自分の限界を超えて支援しようとしてしまう人が現れてしまう。
「私が支援しなきゃ…」「あんなに喜んでくれたんだから…」「今月もうお金ないけど、無理すればこれくらいならいける」「リボ払いにしておけばまだいけるかな…」
それが支援中毒です。そうなったらマズイ。生活や、身の回りの大切なことよりも「クラウドファンディングで支援して、承認欲求を満たす」ことが目的になってしまってる。
クラウドファンディングの支援って楽しいんです。爆発的に盛り上がってるから、輪に入りたくなってしまう。高額の支援をすると注目も集まるから、ついつい限界までいこうとしてしまう。
クラウドファンディングの支援って最高の娯楽なんです。
クラウドファンディングのプロジェクトオーナーが望むこと
だけど、クラウドファンディングをしている人は、支援することであなたの生活が破綻することを望んでないと思います。
無理はしないでほしい。楽しいのはわかるけど、中毒になったらダメです。大事なのは関わり続けることで、プロジェクトオーナーが望むのもそれです。一過性の資金調達ではない。仲間がほしいというのは、ずっと関われる仲間がほしいということです。支援して生活が破綻して、関わりを続けることが難しくなる…ということを望んでないんです。
自分にとって無理ない金額をしっかり知りましょう。
自分の支援できる金額を知る
クラウドファンディングの中には、支援してもリターンが届かないものもあります。それは100%プロジェクトオーナーが悪い。僕もリターンが遅くなったことや、漏れてて連絡もらったこともあります。平謝りです。
そういうことを棚に上げて言いたいわけではなく、大事なことなんで誤解なく伝えたいんですけど…支援する金額は無くなっても影響ない金額に留めておいた方がいいです。
ここ、誤解しないでくださいね。リターンは返ってこなくても支援だから当たり前。と言いたいわけでなく、返ってこなかったら致命的になる金額の支援は無理にしてはいけないということです。
僕も、めちゃめちゃ応援してる人が何かに挑戦してたら、ギリギリまで支援して応援したいなって思います。けど、冷静に考えてます。「今、いくらまでなら支援できるか?」「いくらまでなら返ってこなくても笑ってられるか?」を考えます。
例えば、僕は一緒にDJわいざんという音楽ユニットを組んでるこな子が世界一周に行くという時に50,000円支援しました。リターンは次回LINEスタンプを作る時にフォントを書いたもらう権利。
てか事例わかりにくっ!LINEスタンプのフォントを書いてもらう権利が返ってこないというのは想像しにくいやんか!
例えば…そうだなぁ。僕がLINEスタンプを作るまでにケンカ別れとかしてたとして、「あいつに文字なんて書いてもらいたくねーよ!」となった場合とか?
それでも、「まぁこな子にはお世話になったし、夢だった世界一周に行けたからいいか」って思えるくらいの額が上限だと思います。
…いや、そう思えてるなら多分ケンカ別れしてないな…まぁなんとなく察してください。僕が言いたいことはそんな感じのことです。自分が支援できる限度額を知ろうってことです。
限界を超えて支援してもらって、あなたの生活が苦しくなることをプロジェクトオーナーは望んでません。そこは自分を律してほしいと強く思う。
長く続けれる関係を望む
僕がこれを書いてるのは、決して聖人のような気持ちで書いているわけでなく、プロジェクトをする側としても一番困るのは人が離れていくことなんですよ。
離れていく理由が、やりたい事の方向性が違ってきた…とかだと仕方ないんですが、応援の気持ちが強すぎるあまり、支援しすぎて続けれなくなって、気まずくなってフェードアウト…は一番つらい。
僕がオンラインサロンの人数を広げたい理由はここにあります。少人数だと、金銭的にも時間的にも持たないんですよね。理想は「関わりたい時に、関わりたい額で楽しんでもらう」です。
僕がこの記事を書いてるのも、言葉を選ばずにストレートに言うなら…
「長くお客さんでいてほしいから無理しないでね!」
って言ってるわけです。冷たく聞こえますか?でも、そもそも商売ってそういうものじゃないですか?
ただ、商売と違うのは関係性が双方向であるということです。文字にすると「お客さん」になっちゃうけど、僕は一緒に作っていく仲間だと思ってます。そういうものを作りたいし、届けたいと思ってる。
自分のできる範囲での協力が一番嬉しい
大きな金額を支援しないと、仲間に入れてないと思うのは大きな間違いです。しなやかフェスの最安リターンは50円でしたが、それだって嬉しいものです。
シェアだってできる。安易なシェアは僕は望まないけど、生活に負担がかかるほど、何か支援できないか考えてくれて、それでも今回は厳しいけど関わりたい!と思ってくれた人のシェアとか、涙が出るくらい嬉しいんですよ。
クラウドファンディングの支援は現代の娯楽といえます。そして、娯楽には中毒があります。だからこそ、自分を律しましょう。
無理を超えた支援をしないと疎外感を感じると思い込んで、大切なものを失わないようにしてください。もしくは、そういう空気を感じたらその場から離れてください。そういう空気は悪だと思います。でもそれって実はクラウドファンディング関係ないですよね。
…あれ、そう考えると「詐欺だ」とか「人の金でやるな」とか言ってる人って自分の商品買わないと仲良くしないとか…そういうことやってません?気のせいかな。つまり囲い込みたいから他で盛り上がってるのをクラウドファンディングにすり替えて批判してるってことかな。
クラウドファンディングという仕組みがすばらしいと思ってるからこそ、デメリットもある。でもそれはクラウドファンディングのデメリットじゃない。サービスを提供する側の姿勢の問題です。そして受け手側もリテラシーを高く持っていてほしい。
クラウドファンディングはただのツール。良いも悪いもない。お金を搾り取る極悪ツールにするかどうかは使う人次第。でも、それすらも自分が選べるってこと。この事はしっかりと伝えていきたい。