去年の今頃の話です。この話は実はくっすんにしかしてません。先ほど、Twitterを見てたらふと思い出して、急に残しておきたくなったのでブログを書こうと思います。
きっかけはこちらのブログ。共感できるところがたくさんあるのでよかったら読んでほしい。
≫【思考】自分だけの山を登ろう|思考を止めず自分の成長を促す思考法
実は去年の今頃、SNSが怖かった。めちゃめちゃ怖かった。その正直な気持ちを名古屋で夜飲んで、ホテルに戻りながらくっすんに話したら爆笑されたのを覚えてます。それはなにかというと…
『イトーちゃんに嫌われるのが怖かった』
これです。何を言ってるのかわからないと思うので解説しますね。
NOも発信していくと決めた2018年の自分
怖かった理由はふたつあります。ひとつ目はこれ。2018年の僕は、これまでSNSで自分をフルに出せてないなって思った経緯から、自分をもっと出していこうと決めました。
嘘をついたり、自分をよく見せようとしてたわけではないんだけど、あまり出さなかった面があるんですね。それは嫌なことを嫌というということです。
リアルの僕は、結構はっきり意見を言います。相手が権力者だろうと、はっきりNOは言うし、嫌なことをされたら「それは嫌です」って言います。
ただ、今振り返ってみると、SNSだと無意識にいい人に見られたいと思ってたのか、その面を隠してたように思えます。
僕がNOを言うのは、本心なんですけど相手を傷つけたいわけではありません。自分を守るためと、自分のことを知ってもらってお互いが気持ちよく過ごすためです。もちろん、僕のNOが100%相手にとって受け入れられるとは思ってないので、違う場合は話し合う必要もあるし、意外とそこで納得すれば折れることも結構あります。
いずれにせよ、NOから始まるコミュニケーションは人生にいい影響を及ぼすと思ってます。陰口や、ただの批判は嫌いですよ。
2017年はSNSで嫌な思いをしても、結構我慢してました。誰かもわからない失礼なDMに対しても一応丁寧に返してたし、いきなり「SNSのこと教えてください!」みたいに言われても、一応返事したりしてた。その時に極限まで気を遣ってた。でもふと気づく。「これ、誰やねん」と。こんなの本当の自分じゃないなと思ったんです。
こういう人たちは要は僕に依存してるわけであって、本当に僕を必要としてるわけではない。無料で教えてもらったらラッキーくらいに思ってて、要は誰でもいいのだ。僕の人生はここに付き合うことではない。そう思って付き合うのをやめて、発信も厳しめな要素を増やすことにした。
その時…ただ唯一気になったのがイトーちゃんの目だった。
今思うとあり得ないんだけど、その時の僕にはイトーちゃんが聖人のように見えてて、僕が万人に優しくしてないことを咎められるのではないかと不安になったのだ。
いや、イトーちゃんは咎めたりしない。そっと居なくなってしまうのではないかと不安になったのだ。
イトーちゃんにフォローされた時、嬉しかった
今でも結構覚えてる。イトーちゃんにフォローされた時、めちゃめちゃ嬉しかった。
2016年だったなー。僕はTwitterでイトーちゃんの発信を目にして「この人、めっちゃおもしろい切り口で発言してるな」と気になってツイートを見てた。共感も多いし、僕には足りてないものも多かったので勉強になるなと見てた。
すると、僕が書いた「時代が変わればマーケティングも変わる」というブログをイトーちゃんがシェアしてくれた。めちゃめちゃ嬉しくて、「おお!この人僕のブログを読んでくれてたんだ!」と嬉しくなってフォローしたらフォロー返してもらった。さらにはリストにも入れてくれた。
書いててなんか恥ずかしいけど、僕もそんな風に思ったりするんですよ。で、同時にそこに依存しては意味ないとも思ってる。イトーちゃんに反応してもらえて嬉しいけど、目的がイトーちゃんに反応してもらうことになったら最も失礼なことになるってことですね。
オンラインサロンにイトーちゃんが入ってくれた
先ほど怖かった理由はふたつあると書きましたが、もうひとつはこれ。2018年の1月、僕はオンラインサロンを作ったんですね。それにイトーちゃんは入ってくれました。
嬉しかったけど、サロン内では僕の本音の部分を思いっきり出そうと思ってたので、そこに恐怖があった。
本音を書くことで、イトーちゃんに幻滅されて退会されたらどうしよう?ということだ。いや、今思うと恥ずかしいけど当時はマジで思ってた。
これ…実は書きたくないんですけど、これを書くことで今のサロンメンバーが「サロン抜けたらわいざん傷つくのか…それなら抜けにくいな」って思われるのが嫌なんですよ。僕は逃げ道を塞ぐのが嫌なんです。
それはイトーちゃんに対しても同じで、こういうの書くことで今後抜けにくいと思われたら困る。多分僕はその時は受け入れて進むと思うので安心してください。
結局、それらは取り越し苦労だった
そんな恐怖に怯えながらも、僕はイトーちゃんに媚びることだけはしなかったと思う。
めちゃめちゃ尊敬してるし、大好きだったので恐怖があったけど、ここでイトーちゃんに向けてだけ発信するなは違うなと。
ただ、当時あまりに不安でくっすんにだけは話した。そして爆笑された。
「怖いんですか?あの本音しか言わない横山さんが?」
と言って手を叩いて爆笑された。楠、許すまじ。
その時、僕はくっすんに言った。
「怖いけど、それでもそこを気にしたら違うと思う。自分を貫くので、もし愛想を尽かされたら慰めてください。」と。
自分を発信するということは、相手に受け入れてもらえるという事とは違うんですよ。それは僕も同じです。ただ、偽って自分を曲げて人と付き合うとか…そんなの1番人に対して失礼じゃないですか。
結局、それらは全部取り越し苦労で、イトーちゃんとは壁ができるどころか益々仲良くなるばかり。
feverの時も助けてもらったし、しなやかフェスも盛り上げてくれたし、春には一緒に花見のイベントをした。「本当の僕ならここで無茶振りするよな…」と思い、「DJやってみたら?」と無茶振りしたら応えてDJまでやってくれた。その頃、やっと確信した。
『この人、アホやな…』と。
これは僕が勝手に思ってるだけなんだけど、僕がNOの発信を増やすにつれて、イトーちゃんもそういう面の発信が増えてきたように思える。それは、自分が変わったから見えるところが違ってきたからかもしれないけど、益々人間らしく見えてきた気がする。
同時に、過去に嫌な思いをしたことがあるとか、そういうことも見えてきた。聞けば聞くほど、価値観がすごく似てるんだなと思った。というか、多分昔はもっとギラギラと尖ってたんじゃないかと確信してる。
僕はフリーランスでイトーちゃんは会社員。あまり僕がイトーちゃんを助けられるシーンってなくて、いつも助けてもらってばかり。
ブログでも、いつも僕のオンラインサロンの紹介をしてくれてる。サロンで僕が「これをやる!」と言ったらフォローしてくれる。
もはや無くてはならない存在だし、1年前みたいな不安はもう皆無と言っていいほど安心しきってる。
でも、それでも崇拝したら違うし、依存したら違う。ご機嫌取りになったら絶対に違う。
オンラインサロンに入ってくれた人に最も失礼なのは、偽った自分を見せることだと思ってる。これは、イトーちゃん以外にも僕を盲信的に崇拝することのないメンバーのおかげだ。
もしかしたら、半年後には違う道に行ってるかもしれない。半年後に関係性が変わってたら、このブログを見つけて叩く人もいるかもしれない。「あいつ、また付き合う人がコロコロ変わってるな」って。実際、前に仲良かった人と関係が止まった時は、わざわざメッセで嫌味を言ってくる人もいましたからね。
それでいいんだと僕は思う。そういう絶妙なバランスの上にお互いが向上する関係性って成り立ってる。
発信するとき、イトーちゃんの目があるのがありがたい。僕もいつも本音が1番初めに浮かぶ訳ではない。浮かんだこの言葉に嘘はないか?もしかしたら自分を守ろうとしてないか?取り繕ろおうとしてないか?そんな葛藤があるし、一回発信したものがやっぱり違うなってこともある。
そんな時、信頼できる人の目があるのはすごく大事なことだ。全員が僕のことを盲目的に信じてくれてるって状況になったら、僕に成長はない。
普段は言わないけど、実は僕にはそんな風に尊敬してる人がたくさんいます。イトーちゃん以外にもいます。
馴れ合いって、見た目にストイックか?だけでは伝わらないものがある。僕は馴れ合いは嫌いです。でも、関係性は出来るだけ楽しいものにしたい。ここが伝わると嬉しいですね。
「ひとりでいて寂しくない人間になれ!」
アジアの巨人と言われた頭山満の言葉です。この言葉を忘れたらSNSなんてただの時間の浪費になる。自分の人生を自分の言葉で生きましょう。
現代のアジアの巨人といえばこの男ですね。彼もまた、人に依存しないし、ひとりになる覚悟ができてる人間だと思う。だから、一緒にいて心地いい。大事なのはそういうことだと思います。
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