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嫌なことを嫌ですって言い続けてたら、あんまり気にならなくなってきた件

僕は器の小さい人間です。嫌なことを我慢してやりたくないし、ムッとすると態度に出てしまう。でも、それを我慢しろと言われても無理なので、せめてもの思いで決めたことがあります。

「自分の無理なこと、嫌なことはあらかじめ発信しておくことにしよう」

なんて自分勝手なやつだ!と思う人もいるかもしれませんが、これが僕の限界なんです。そこは大変申し訳ない。ただ、自分が満たされてないのに人に対して与えることなんてできますかね?

一次的にではなく、継続的に…です。僕は無理だと思います。なので、まず自分を満たそうと。僕が「これは嫌です」って発信してるのは、誰かを攻撃したいわけではなく、臆病な自分を守るためなんですね。精一杯の防御です。おかげで変な人がよってくることもなく、集中できる日々を過ごすことができてます。

NOを発信するって大事だなって学びました。

NOを発信する覚悟

2018年1月18日

嫌なことを嫌と言い続けたことで起きた変化

ところが、ここにきて最近僕の中である変化が起きました。

それは、ついこの前まで「嫌だ!」って言ってたことがそんなに嫌ではなくなってきてるということ。

嫌ではなくなってきてるということは、好きになっているのか?と言われるとそんなことはなく。ただただ気にならなくなってきました。

例えば、僕は無断キャンセルだとか「行きたいけど行けない」ってイベントを立てる時に言われるのが嫌だって言ってきました。

「行きたいけど行けない」って言っても誰も得しない!

2017年8月14日

今読んでも納得する記事ではあるんですが…なんというか、どちらかといえば気にならなくなってきてるんですよね。

同じように、以前なら言われてイラっとしてたようなことも、なんだか気にならなくなってきてます。これはどうしたことでしょうか?

器が小さいことが問題なのではなく、それを隠すことが問題

このことからの気づきなんですが…要は、自分の感情を文字にすることで、僕は自分を客観的に見ることができたんだと思います。

僕が発信してきた嫌なことなんてものは、もしかしたら他の誰かから見たら些細なことだったりしたかもしれません。だけど、僕がそう感じていることは事実だった。なので、そこに蓋をすることはやめようと思った。

余裕がなかったのかもしれないし、焦ってたからなのかもしれない。臆病だったのかもしれない。

でも、そこに蓋をして我慢してたら、多分今も気にしながらも言えないって状況だったんじゃないかと思う。

自分を隠すことがいちばんの問題

自分の器が小さいことは多分問題ではないんだと思います。

「そんなこと思ったらダメだ!」と、自分を責めたとしても、思ってる事は事実なんだからしかたない。それよりも大事なことは隠さないこと。そう思ってる自分は確実にそこにいるんだから、そこは大事にしてあげようよってことです。

発信してみて、何度か思ったことがあります。

「こんなことに反応してるなんて、ちっせー自分だな!」

でも、そんな自分を隠しても仕方ないので、発信を続けてきました。こんなことを繰り返してたら、気にならなくなってきた。いつしか気にならなくなってきた。器の小さいことを認識するってことはものすごく大事なことなんだと思う。

これ、本当に大事なことだと思いますよ。問題は弱い自分、ダメな自分ではなく、それを隠そうとしてることだと思う。

無理して大人ぶって、気にしてないふりしても、自分の底にある感情を押さえつけてたんじゃ本質的なところは何も変わらない。

現時点での自分を、飾らず発信することが大事なんだなって強く思います。

人にやさしくいよう

こうなってくると、僕にはまた別の視点が生まれてきます。

誰かがイライラしてるところを見たとしても、「ああ、自分の感情に向き合ってるんだな」って思えるという視点が。

常に人生は過程です。完璧じゃなくてもいい。人にやさしいというのは、気休めな言葉をかけたり、自分を殺して相手を立てるということではない。

自分と向き合って、そのままを発信している仲間を見守ってあげることだと思います。まだまだそんな偉そうなことは言えるほど人間出来てませんが、弱さを認めるとちょっとづづ成長できてる感じはします。

こんな僕ですが、引き続き応援してください。よーし明日もがんばるぞ!

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