昨日に続き、キングコング西野さんの世界一楽しい学校「サーカス!」の記事です。昨日のブログをまだ読んでない人は一回読んでくれたら嬉しいけど、読まなくても今日のブログは関係ないので大丈夫です。
今回、ボランティアスタッフをやらせてもらいました。わいざん(@yzan_travel)です。
僕が指示待ち人間になるとき
サーカスの設営準備をしてて、「モチベーションが低いことも才能」というオリエンタルラジオ中田敦彦さんのの言葉が身にしみてわかりました。
僕は本当に極端で、自分が主催じゃないものへのこだわりが薄い。というかほぼない。完全に「あーこーやるんだー」みたいに見てる方が楽しい。勉強になるし、自分ならどうするかなーって単純に考えてる方が好き。特に「ここはこうしたい!」という思いがないんですよね。
なので、こういう時、完全に指示待ち人間になってしまう。いつも自発的に色々やってるから勘違いされやすいけど、こーゆー時の僕は恐ろしいほど指示待ち人間。ずっと認めたくなかったけど、今回の件でやっとそれがわかった(笑)
全ては役割
だけど、スタッフの中には「ここはこうしたい」とテキパキ働いて引っ張ってくれる人がいて、役割だなーって思った。
完成した飾り付けを、急遽変更することになり、せっかく作ったのにすぐバラすシーンがあったんですね。電球を入り口に飾り付けてたんですけど、急遽会場内に使いたいとの事で。
でも、僕は全く腹が立たなかった。「せっかくやってくれたのにごめんなさい」と、言われても、そこに「自分ならこうしたい!」が恐ろしいほどないから「あ、変更するんだな。じゃあどうなるんだろ?」みたいな感じで、恐ろしいほど自分が出ない(笑)これが、自分のイベントなら出ると思いますけどね。
モチベーションが低い事も才能になる
変更して良くなった装飾を見て「おースゲー良くなりましね!」とか言ってるわけです。これがもし、「自分でこうやりたい!」が強かったらぶつかったりもするでしょう。でも、僕に空間演出の才能はありません。西野さんが作る世界観も、見てる分にはすごく好きで、これが受取り手に対して重要な意味を持つことはわかる。
だけど、悲しいかな僕には空間演出の才能はありません。見てるのは好きだけど、自分でやるとなると全くイメージがわかない。そういうセンスは劇的にないわけです。将棋に例えると《歩》みたいなもんです。
オリエンタルラジオ中田敦彦さんはこんなたとえ話も先日の名古屋講演会で言ってました。
モチベーションが低い事が必ずしも悪いわけではない。だって、歩がモチベーション高かったら嫌でしょ。
《歩》は将棋において大事な役割を持ってます。だけど、役割としては前に1歩進むだけ。飛車角金銀のような、派手な動きができるわけでもなければ、希少性が高いわけでもない。
そんな《歩》が、モチベーション高かったら困る!ってのがまさにピンときて。
一見ダメに見えるようなものでも、配置と役割によっては才能になるわけです。黙って指示通り働く人間もいないと、チームとして進んでいかないですからね。
サーカス!設営での僕は、リーダーシップ取ってくれる人がいていいなぁと、心から思いながら働いてました。地味に椅子を並べたり、言われた通り装飾をやっている方が楽しかったりします。これも重要な役割ですからね。誰かがやらなければ永久に開場されることはないですから。
こだわりがない事も才能になる。言われた通りに何も考えずにやる事も才能になる。そんな事を知れたいいタイミングでした。あ、ちなみに他のことに関してはこだわりも我も強いので、そこだけは誤解なきようお願いします。
それにしても設営…楽しかったなぁ。みんなキャラ濃くて充実した一日でした!地味な仕事をひたすらやりますので、またサーカス!スタッフやりたい。役割を知るって大事だな。