こんばんは!今日は島根から帰ってきて明日も島根なしまねっこ、わいざん(@yzan_travel)です。島根には何かと仕事の縁があってよく行ってます。
※島根県美保関にある美保館本館の離れ客室
人間は2種類に分かれる
今日は最近思うことをひとつ書きます。
世の中には2種類の人間がいる。
誰かが何かにチャレンジする話を聞く、またはしているのを見たとする。
その時の反応は2つに分かれる。「うまくいけばいいね!」って思ってくれる人と、「失敗すればいいのに…」と思ってしまう人の2種類だ。
気持ちの大小は問題にしないとして、大きく分けるとこの2つに分かれる。
この2つは人間性の問題ではない
これは後者の人間性が悪いとかいう事ではなくて、単純に「拗ね」の問題な気がする。
自分に満足がいってなければ、知人のポジティブな行動を見て、おもしろくないと思ってしまうだけのもの。
単純にこれだけで人間性はわからないと思う。
そりゃ思うこともあるよね、人間だもの。自分も振り返ると思うときはあった。誰かが挑戦しているのを見て、劣等感を感じて「そんなのうまくいくわけない」と思ってしまうことが。
で、実際にチャレンジすると、やっぱりうまくいかないこともある。失敗する。
で、後者はそれを待ってました!とばかり、嘲笑してくる。
でもね、前者は絶対に笑ったりしないんですよ。なぜなら自分もやって失敗してるから。もしくはやろうとしてるから。
僕は今までこう考えてました。
チャレンジすることは、失敗して苦しみながら…それでもがんばってやらないといけない!誰に笑われてもいい、それでもやらないといけないんだ!
こんな風に思ってました。それに打ち勝つことが大事なんだと。
でも、最近思うのはそんなことはないんじゃないかということ。失敗しても、誰も笑わないし怒らないんですよ。
正確に言えば、そういう人しか寄ってこないんですよ(笑)
挑戦している姿を見せていると、それを見て笑わない人しか寄ってこない。これは真理な気がする。
自分がチャレンジしてることを宣言したとする。
同じ価値観を持ってる人は、自分もやったり、やろうとしてるわけだからそれに対して「拗ね」がない。
むしろ勇気をもらったとさえ言う。
そんな価値観を持った人が集まってくる環境に身をおいていると、チャレンジする事に恐れがまったくなくなってくる。
こういう環境になってくると、チャレンジすることに対して前述したような、苦しみとかは意外とない。
必要なのは、最初の一歩を踏み出せるか?
これだけで人はなりたい自分になれる。
チャレンジしている人に囲まれて生きていきたい
最近、facebookやTwitterの投稿見てるとやたらとチャレンジしてる人が多くて。
それを見て心からいいなぁって思ってる。
うまくいって欲しいし、失敗したとしても絶対に笑わない自信がある。
以前は僕も、そういうのを見ると「こういうリスクを考えてない」とか、「それはおかしい」とか頼まれてもないのに勝手に思ってた。
親身に言ってるようで、その根底には失敗するだろうな(すればいいのにな)って思ってたんだと思う。
さきほど、それだけで単純に人間性はわからないと書いた理由はここにある。
大事なのは、その自分の「拗ね」に罪悪感を感じてるかどうか?
それだけだと思う。
「拗ね」た自分をちょっとでも嫌だと思ったら、一歩踏み出してみればいい。
それだけで劇的に何もかもが好循環する。
今、何かをしようとしてる人は、本当に怖がらなくていいですよ。
チャレンジしているあなたに寄ってくる人は、誰よりもチャレンジする事が好きな人だから。
人間は2種類に分かれる。
自分がどっち側かを選ぶことで、あなたの周りに集まってくる人も決まってくる。
この記事を書いた1年半後、僕はDJになることをチャレンジしました。そこで得た体験はまさにここに書いた通りでした。チャレンジしていると、まわりに失敗しても笑わない人がたくさん集まってきます。お試しあれ。