―王位を奪われた国王以外に、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう。―
「人間は考える葦である」で有名な、フランスの哲学者パスカルの言葉です。パスカルは幼少の頃から天才で、まだ10歳にも満たない頃に、三角形の内角の和が180度である事を自力で証明したそうです。
今日はこの偉大なる天才パスカルの言葉を考えてみようと思います。
悲しみや苦しみの意味
この言葉は以下のように続きます。
・・・ただひとつしか口がないからといって、自分を不幸だと感じる者があろうか。
また、眼が一つしかないことを、不幸に感じないものがあるだろうか。
誰にせよ、眼が三つないから悲しいと思ったことはないだろうが、眼が一つしかなければ、慰めようのない思いをするものである。
読んでみてどう感じますか?
この言葉は、人間の悲しみや苦しみというものにどんな意味があるか?という真理を教えてくれます。
自分をみじめと思い、それをつらく感じるということ。それは、人間が本来、そんなみじめなものであってはならないという事を知っているからなのです。
僕らは、当たり前に目がふたつで、口はひとつ…という、人間が当たり前に持っているものを過不足なく知っています。足りなければ不幸を感じる事になりますが、それ以上持ってないからといってみじめな思いをすることはありません。
しかし、自分が王様だという事を、当たり前に思っているのは王様だけなのです。だいたいの人は自分が王様でないからといって、みじめな思いをすることはありません。
それと同じように、悲しみや苦しみを感じるという事は、自分の理想を知っているという事なのです。自分が本来、尊いものと知っているから悲しみや苦しみを感じるわけですね。
まとめ
僕らは、生きていると自分の理想とかけ離れた結果に思い悩むことがあります。そんな時はこう考えてみて下さい。
この結果につらさを感じ、みじめだと思い悩むという事は、自分が本来どうありたいか?という事を教えてくれているのです。
みじめだと思う事を恥じる事はまったくありません。誇り高く、気高く生きようとしている証拠だとパスカルは教えてくれてます。このように理想を感じること。そしてそれを目指すということに、僕は生きている意味を感じます。
理想は、無理に目指してもいいし、目指さなくてもいいです。ただ、自分のやりたい事が沸き起こってきたら、その衝動にしたがってほしい。それが出てくるまでは、今をとことん楽しんでいればいいと思います。
だけど、自分の中の声や感情には素直になってみるのも僕はいいと思います。
僕も、悔しさを感じる事はあります。だけど、それは今がダメだって事じゃないわけです。自分はもっとできる!って事を自らが教えてくれてるわけです。その感情は、変に胡麻化したり逃げたりせず、しっかりと向き合ってみましょう。
現状を受け止めながら、理想に向けて悔しい想いをきちんとする。これを繰り返すことで人間は高まっていくものだと考えています。
やり方はゆっくり…焦らなくていいと思います。まずは感じることが大事だなって思うわけです。