高知から広島に帰ってきております。それにしても高知は楽しかった。
「しなやかフェスを高知で開催する!」と、意気込んで宣言したものの、本当にできるかどうか全く見えない中での決断だったから、直接現地に行くことでイメージできたのは大きい。
あと、なんと言ってもカツオがうまい。夜に高知市内の居酒屋で食べたカツオの刺身。うまかったなぁ…開催までにしっかりと高知を知らないといけないので、また来月も食べに行くと思います。これは仕事だから仕方ないね。
自分が付き合う相手は自分で決めよう
さて、先日こんなツイートをしました。
SNSを始めた頃の話。「何であの人の投稿にいいね押してんの?」って聞かれる。いいなって思ったからだよって答えると「誰がどこにいいね押してるかは見えるから考えて押したほうがいいで」って言われた。なるほど、そういうの考えてたらこんなつまんない人が集まってくるんだな、といい勉強になった。
— わいざん|脱・前例主義宣言 (@yzan_travel) 2019年1月23日
僕がSNSを始めた頃の話です。ふと思い出したんでツイートしておきました。そしたらまぁまぁ反響があったのでブログに書いておこうかと思います。
SNSを始めた頃の話。「何であの人の投稿にいいね押してんの?」って聞かれる。いいなって思ったからだよって答えると「誰がどこにいいね押してるかは見えるから考えて押したほうがいいで」って言われた。なるほど、そういうの考えてたらこんなつまんない人が集まってくるんだな、といい勉強になった。
この「誰がどこにいいね押してるかは見えるから考えて押したほうがいいで」の後に続いたセリフは、●●さんがあいつ(僕がいいねを押してた人ね)とは付き合わない方がいいって言ってたから、「いいね」ってわいざんが思ってるって思われたら損するよ、ということでした。
これをブログに書こうと思ったのはですね、こういう思考が本当につまんない人を引き寄せるんだなーマジでありえない!…というようなことはもう充分で。
これに関してはツイートを見てくれた人が感じとってるだろうから、特にブログにしてまで言いたいことはありません。イトーちゃんがブログに書いてくれたしね。内容、全くもって共感です。
いいブログだよね。僕の過去記事も引用してくれてて嬉しい限り。僕のブログは一旦おいておいていいので是非読んで欲しい。
僕がこういうツイートをする理由
僕が今回ブログに書きたいのは、なぜ僕がこのツイートをしたか?ということです。これは、僕がセミナーをやったり、コンサルをしたり、オンラインサロンをやったりと、全ての伝えるという点において一貫していることなのでしっかり書いておこうと思います。
改めましてですが、僕がこのツイートをしたのは「過去にこういうことを言われたのが腹が立つ!許せない!」という感情ではないんです。これ、かっこつけようとかではなく本当にそうなんです。
相手には相手の正義や事情があるだろうし、そこは価値観の違いでいいと思います。価値観が相反する人と無理に仲良くしなくていい。「それは間違ってるよ」とか正そうとは思いません。単純に関わりたくない人だなって思うくらいです。それは相手からしたら僕がそうかもしれない。別にそういう人を攻撃しようとしているわけではないんです。まぁこういう思考の人は攻撃されてるように感じると思うけど。
僕がこういうツイートをする理由はひとつ。本当はそう思ってないのに、集団に属してるが故に怖くて言えない人のためです。
同調圧力に負けない勇気を持ってほしい
僕はこれが一番不幸だと思う。そして言えない気持ちもわかる。あの人に背いたら居場所がなくなるんじゃないかっていう恐怖。同調圧力ってやつですよね。これは恐ろしいと思ってもしかたないことだと思う。だから責めたいわけではない。
じゃあ、なんでこんなことを言ってるかというと、こういう話を聞くことがあるからだ。本当はあの人と仲良くしたいけど、あの人とは付き合うなって言われるから…みたいな話。子供のイジメかよって思うと情けなくなる。
そういうのに対して、そんなのおかしいと思ってる人はたくさんいるよ。自分の好きなように生きて大丈夫って言いたい。
自分の判断であの人とは付き合いたくないなって思ったら付き合わなければいい。繰り返しになるけど、全員と仲良くしようなんて思わなくていい。僕だって合わない人もいる。嫌いな人がいたら、その人が見えなくなるところまで離れたらいいだけの話です。
その判断は自分で決めて大丈夫だよって話です。自分の感受性は自分だけのもの。そこを他者に委ねる…ましてやそこに圧力や恐怖があるとしたら、僕はそれは違うと思うよって伝えたいということです。そこに勇気を持ってほしいし、勇気を持てるきっかけを少しでも与えれたら嬉しい。
まとめ
もちろん、過去の自分にそういうことが全くなかったか?と言われるとそんなことはないかもしれません。恥ずかしながら子供の頃、イジメをしたことだってあった。ただ、いろんな経験をしてきて今はこう考えてる。だから僕は言い続けます。自分の感受性くらい自分で守れよって。
その人と付き合いたいかどうかは自分で決めよう。自分で決めたものなら、罪悪感は持たなくていい。けど、無理に攻撃する必要もない。その人が気にならないところまで離れよう。僕が言いたいのはそういうことです。
今の自分の価値観が、誰かの強制や誘導によるものだと感じて違和感を持ってる人がこれを読んだとしたら、自分で決めて大丈夫ですよってエールを送りたい。自分で決めてたら何かが変わりますよって言いたい。そんな発信をしたいと思ってます。違和感なかったら「つまんねぇブログだな!」って読み飛ばしてもらって大丈夫です。
最後に、僕の好きなよしもとばななさんの小説からの言葉を引用してスッと終わります。それぞれが感じたことが答えだと思います。
嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ。この世にはわかり合えない人がいるじゃない?どうやったって。逆立ちしたってだめな人。でもその人も死ぬでしょ?同じように、怒ったり泣いたり、人を好きになったりして、死ぬでしょ?そう思うと、許そうと思ったり、嫌えなかったりするでしょ。それって、遠くから見てることになるの。青い空の上から見てるみたいに。光や雲がきれいだと、その人もきれいに見えて、風がいい感じだと、許すでしょ?まあまあ好きに思えるでしょ?むかでとか、大嫌いでもどアップで見るより、一メートル離れたら少しいいでしょ?二メートル離れたらもっといいでしょ?見えないとこまで離れても、むかでがいることは忘れないでしょ?でも、うんとましでしょ?離れるしかないの。問題は、心の中に入ってきてしまった場合。でもできれば入れないで、距離をとるのがいいの。本当だよ。
ハチ公の最後の恋人という本からの引用です。小説から学べることはたくさんある。