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補欠だった少年野球でもらった背番号が教えてくれたこと

世の中には向いてないこともあるし、できないこともある。

気合いがあればなんでもできる、とは言うけど、どうにもならないことも少なくないのではないだろうか。

 

今日、Twitterをなんとなく眺めてたらこんな記事が流れてきた。

少年野球 かわいそうだから出してやるか

 

タイトルだけで胸がキュッとなった。

「かわいそうだから出してやるか」

これに少年野球というワードが合わさったら大抵の大人は切ない気持ちになるでしょう。ならないはずがない。

内容は読んでくれたものとして話を進めるが、読まない人のために簡単に内容をまとめるとこう。

  • ある少年が5年生から野球を始めた
  • 6年生になって同学年はその子以外はスタメン
  • それでも毎日素振りやランニングをがんばっていた
  • 最後の試合でチームは大差負け
  • そこで指導者から「かわいそうだから出してやるか」の声
  • 予想に反して2ベースのヒット
  • 仲間たちは喜んでくれたが、指導者からは「まぐれ」の声
  • 指導者としてその発言は必要だったのか?

ここに、本文では親目線での心境が入ってくる。ちょっとこれは切ないよね。

 

この話を読んで小学生の頃を思い出す。僕はこの少年のように野球をやっていて、全国大会に常に出てるようなけっこう強いチームだったんだよね。

そのチームで僕は補欠だった。この少年のように同学年で唯一の補欠だった。

だからこのタイトルを見た瞬間、あの頃を思い出した。あの頃の感情、試合に出れなくて悔しくて、ちょっとみっともないような気持ちを。

けど、今の自分にもつながってる大切な思い出を。

 

6年生になった時、背番号が新しく配られる。僕は思う、補欠だったから番号は後ろの方なんだろうな。

「背番号1番、マッシー!」

監督の声が響く。マッシーこと増原くんは野球センスの塊のようなやつで、打順が1番でショート。さらにはキャプテンという、どう考えても主人公タイプのヤツね。

背番号1番は誰もが納得。皮肉なことに、僕は彼と小学校低学年の頃から仲良くて、野球をやるって決めたのも彼がいたからなんだよね。

いつも一緒にいたけど野球の実力はどんどん開いて、劣等感を感じなかったかと言われると嘘になる。

でも、ずっと仲良くていいヤツだった。

「背番号2番、佐伯!」

佐伯くんはジャイアンキャラでゴリゴリのいじめっ子タイプ。僕とは馬があったのか、いじめられることもなく仲良しで。

これまた皮肉なことに彼が野球を始めたのは僕が誘ったからなんだよね。

入団が遅く、5年生から入ったにも関わらず持ち前のパワーと運動神経の良さで即刻レギュラーに。誰もが納得の背番号2番だ。

「背番号3番、小田!」

小田くんは学年がひとつ下の5年生だけど、体がデカくて左打ちのパワーヒッター。

ここにこのチームの厳しさがあるのがわかるだろう。6年生は確か僕含めて7人いた。年功序列ではなく実力主義で背番号を配ってるのがわかる。

まだ名前を呼ばれてない6年生には、5年生の時からレギュラーだった松岡くんや小谷くんが控えてる。

彼らを抑えて3番をもらうんだからすごいよなぁ…僕はそんな事を思いながら、背番号を受け取る小田くんをボーッと見てた。

自分はいつ呼ばれるのかな…すら思ってなかった。だって5年生の時に一度も試合に出れてないしね。下手だった僕は、この実力主義のチームでは蚊帳の外だろう、と。

 

そんな上の空の僕をよそに監督は続ける。

「背番号…4番…」

4番。セカンドでレギュラーの松岡くんかな?なんとなくそんな事を思ってた。

松岡くんは低学年の頃は絵に描いたような鼻垂れ小僧だったけど、5年生くらいからしっかりしてきて野球の実力もグングン伸びてる。

「横山!」

え、横山?

横山って僕だ。僕が背番号4番?レギュラーでもないのに?

予想もしなかった背番号4番に戸惑う僕に、監督は厳しい表情を変えることなく言った。その表情も、ピリッとした空気もハッキリ覚えてる。

「横山は誰よりもベンチで声を出してる。それはチームの助けになってる。ありがとう。」

 

時は流れて最後の試合。背番号4番をもらった僕はその後もレギュラーとしてスタメン入りすることはなく、たまに代打に出ては凡退し、守備固めで出ればエラーをし…いいところを見せることはなかった。

ただ、誰よりもベンチで声を出した。相手チームをなじるような事は言わず、あくまで味方を鼓舞するような声かけにこだわった。

そのことに誇りを持てたのは監督の背番号を渡してくれた時の言葉があったからだ。

最後の試合の朝、増原くんや佐伯くんは僕に言った。

「今日は出場あるんじゃない?最後の大会だし!」

僕は思った。どうなんだろうな、わからない。ただ、あの監督は温情では出さないだろうな、と。

スタメン発表に僕の名前はなかった。ちょっと増原くんは残念そうな顔をしたけど、僕の気持ちは清々しかった。

ちゃんと見てくれて、ちゃんと出さないって判断してくれたんだな、と。

試合は0ー2で負けてる。最終回、代打あるんじゃないか?とチームのみんなは期待してくれたけど、結局僕の出番はなかった。僕の野球は終わった。

僕には野球は向いてなかった!自分なりにがんばったつもりだけど、向いてなかった!

だけど、僕は声を出す役割を自分で見つけた。仲良かった友達が活躍してたから、自分もその輪に入りたかった。

だから声を出して応援しようと思った。本当に腹の底から声を出してみんなを応援し続けた。

監督はそれを見ててくれて「かわいそう」などではなく、チームのためにありがとうと言って背番号4番をくれた。

もちろん、上達したら使ってくれたと思う。常に見てくれてたのは間違い無いと感じてるから。

最後の試合が終わった。0ー2のまま僕らは負けた。整列が終わった後、みんなで終わったなぁ、勝ちたかったなぁって悔しい気持ちを噛みしめながら話してたけど、僕はその輪に堂々と入れた。

みんなが「いつも応援してくれてありがとう」って言ってくれて、ベンチの後輩たちが横山くんに続いて声を出してベンチを盛り上げようって士気を高めてくれたからだ。

 

僕は恵まれてた。子供ながらにそれぞれの役割があるって事を僕だけでなくチーム全体に監督が教えてくれてた。

それがあの背番号4番を僕にくれた時の言葉だったんだろう。

翌年の背番号4番は普通に上手いヤツの背中についた。同情なんかでなく、それぞれの役割に対して背番号を渡してる。そんな強い意志を垣間見た。

背番号4番は温情番号ではないよ。

そんな気持ちが伝わってきた。

世の中には向いてないことやできないことがある。僕にとって野球はそうだったんだろう。

それでも役割があるってことを教えてもらった。あの背番号があったから、くさらず仲良かった仲間たちと最後の試合を一緒にできた。そんな小学生の頃の思い出。

あのブログの少年は中学校でも野球を続けるらしい。指導者が良くない!最悪!なんて野暮なことはここでは言うつもりはない。がんばってほしいね。いい思い出にしてほしいね。

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