SNSで関係性が増えてくると、出てくる悩みのひとつに「支援疲れ」がある。
クラウドファンディングやpolcaの登場で、活動や個人的な内容で金銭的な支援をお願いする案件が増えている。関係性が増えてくると、それに出会う機会も当然多くなる。それに対して、支援できないことに罪悪感を持つ人が多くなってきている。
「支援しなければならない」という強迫観念から、支援疲れを起こしてしまう。今日はこれについて意見を書いておきたい。ポイントは罪悪感にある。
SNS上で立ち上がってる企画に支援できない時に芽生える罪悪感。この罪悪感はふたつの方向に向かう。
支援と罪悪感をテーマにfacebookに記事を書いたら反響があったので、ブログにも掲載しておきます。facebook投稿時のコメントも参考に載せるので、どんな風にみんなが感じてるのか参考にしてほしい。
罪悪感が自分に向かう場合
罪悪感が自分に向けられた場合、無理な支援をしてしまう。
自分のキャパを超えた支援をして、生活を壊してしまう人たちがいる。もちろん、これが本当にしたいことなら何も言うつもりはないけど、支援の動機が「支援しないと自分には価値がない」と思ってるのであれば、それは逃げかもしれない。
大事なことから目を逸らして、支援をすることで安心感を買ってるのかもしれない。これは良くない。
一度ここは、素直に自分の心と向き合ってほしい。
支援できない自分に価値はないのか?いつの間にか支援してる人と比べて、支援しないと置いていかれると思ってないか?
これに違うというのは簡単だろう。でも、少しでも心当たりがあるなら、一度向き合っておいた方がいい。罪悪感から来る支援は必ずいつか限界が来る。
あなたの価値は支援すること以外にも沢山あるよって言いたい。支援しないことが応援してないことにならないという事を知らなければならない。
無理な支援は気持ちいいと思う。でも、厳しいようだけど、それ自体が逃げている事になってる場合もある。
免罪符を買ってる。これはすごく的を射た表現だと思う。
早めに自分の中に「支援しないけど応援してる」という感覚を芽生えさせなければならない。支援と応援をイコールにしては限界が必ず来る。
罪悪感が他者に向かう場合
罪悪感が他者に向けられた場合、攻撃的になる。
支援を募ってる人を、いろいろな理由をつけて攻撃してしまう人たちがいる。
「これは自分でやるべきこと」
「毎回polcaやりすぎ」
ハッキリ言って誰が何をお願いしようと自分には関係ない。ただ、SNSは無関係なものも目に入ってくる。無関係のはずのpolcaが目に入ってくると、お願いを間接的にでも断らないといけないと感じてしまう罪悪感から、無関係のはずの支援依頼をしている人を攻撃してしまう。
これはスルーしている自分がまるで責められてるように感じることからくる事が多いのだと思う。全くそんなことはないはずなのに、自分で勝手にそう受け取ってしまう。
ハッキリ言うと支援をする理由なんて関係性でいくらでも変わる。誰もが共感するような立派なプロジェクトであれば、関係性が遠くても支援する人は多いだろうけど、関係性が近ければ別に「醤油を買ってきてほしい」とかでも支援する人はいる。
そこを否定するのは親戚の子供にお年玉をあげてる人を批判するのとたいして変わらない。パチンコで負けた友達に「今日はオレが奢るよ」って言って飲み代払ってる人を責める人がどこにいるのか。
もう一度言うが、この批判の元は罪悪感から来てる。まずそれを受け入れるべき。WEBに載ることで、関係性の遠い人にも届いてしまう。それが間接的に断らされてると感じ、それによる罪悪感が起きてしまう。
そうでなければなんの感情もなくスルーできるはず。本来支援しないことになんの問題もないはずだから。責められてると感じてるから、攻撃してしまう。わかったからもうやめてくれ、と。
そう考えると、最もらしい批判も自分から逃げてることになるといえる。
そう、ただただスルーでいい。批判することで「自分は間違ってないよ」って主張しなくて大丈夫。ここが認めれたらすごくいいSNSライフが待ってると思う。
支援疲れは罪悪感から起きる
限界を越えた支援も批判も、どちらも罪悪感。こう考えると罪悪感を自分に向けてるのか、他者に向けてるのかよくわかると思う。
こんな風に罪悪感を感じながらも、自分も無理をしない、他者も攻撃しないって方向に向かえるのはすごい。きっと自分が支援を募る側を経験できてるから、お金だけが応援じゃないってのを実感できてるんだと思う。polcaをやったことある側の人の多くはこう思ってるんじゃないかな。そう考えると誰も罪悪感を持つ必要はないですよね。
ノリとタイミング。このくらいで考えておけるとすごくいいと思う。
今、僕らに必要なのは支援依頼に無関心になることだと思う。いちいち反応しない。別にスルーしても断っても、それがその人を応援してないことにはならない。
この気持ちはすごく大事だけど、忘れないで返せる時に誰かに回せばそれで充分だと思う。
ただ、がんばってる行動の部分だけを肯定しとけばいい。そうすると自分が何かやる時にブレーキにならないで済む。
僕らは今、支援だけが応援してるってことではないってことを、早めに受け入れておいた方がいい。
罪悪感からの無理な支援や攻撃はやめましょう。
「発信を必ず見なければならない」も同じ
まさにこれもそう。関係性がある人の発信を全て見れないと罪悪感を感じてしまうと、自分を責めるか発信している相手、もしくはSNS自体を最もらしい理由をつけて責める人がいる。
それは違うってわかりやすいですよね。関係性って呪縛のようにがんじがらめにつながれるものではない。
強制性のない、緩やかなつながりを目指しましょう。支援できなくても、投稿が全部見れなくても、その人を好きで応援したいという気持ちだけで充分です。