久しぶりに、具体的な誰かひとりの為にブログを書いてみようと思います。
いや、もちろん普段も日々の出来事から、この人に届けたいなとイメージして書いてるんですが、より具体的に書きます。
他者評価が気になって発信を悩む
SNSで発信を続けてる人なら、誰もが味わうだろう他者の目。
それを気にして、発信について悩む事もしばしばあるかと思います。
僕ももちろんあります。あんまり気にならなくなってきましたが。
自分の意とした事と、違うイメージで伝わって、自分の発信の仕方が間違ってたのではないだろうか?
と、悩むこともあるかと思います。
だけど、解釈はあくまで他者次第で、こちらでコントロールする事はできないのです。
さらに、人は何かに直面した時に、必ず自分にとってわかりやすいストーリーを求めます。
それはほとんど盲目的に、そうであって欲しいという願望から。
そして、固定観念から、そうでなくてはならないという思い込みから。
自分の枠に、無意識にはめようとしてしまうのです。
だから、他者の目を気にする必要はありません。気にしようがないのです。
発信の向こうには必ず相手がいる
だけど、ここで僕が言いたいのは、気にしようがないからと言って、自分の発信の向こうに相手がいるという思いやりがなければ、人の共感を呼ぶ事などできないという事です。
他者の目を気にする必要はないけど、だからといって、他者を思いやる気持ちは僕は必要だと思います。
だけど、そこに答えなんてないのも事実。
だから僕は、最近思うのは自分の好きな事を発信する事だと思います。
好きをありのままに発信している投稿って、見てて気持ちのいいものだと僕は思います。
そうは思わないって人は…まぁちょっと考えがまた違うんでしょう。
万人に合わせる必要はなく。僕はあくまで、自分の好きを自分の言葉で発信してる人が好きです。
だから、それはそれぞれで決めたらいいと思う。
発信の向こうに必ず相手がいるならば、僕は自分の好きを発信したいなって思うようになりました。
そんなあなたにおすすめの本
理解できない犯罪が、一番怖い
エリート銀行員の仁藤俊実が、「本が増えて家が手狭になった」という理由で妻子を殺害。
小説家の「私」は事件をノンフィクションにまとめるべく、周辺の人々への取材を始めた。
「いい人」と評される仁藤だが、過去に遡るとその周辺で、
不審な死を遂げている人物が他にもいることが判明し……。
理解不能の事件の闇に挑んだ小説家が見た真実とは!? 戦慄のラストに驚愕必至!
ミステリーの常識を超えた衝撃作、待望の文庫化。
ミステリー作家、貫井徳郎さんの前衛的なミステリー『微笑む人』のあらすじです。
ミステリー小説というのは、その性質から、犯人や犯行の方法にフォーカスされ、なぜ犯行に至ったのか?という、動機の部分にフォーカスされる事ってないんですよね。
それは、動機に意外性を持たせるのって難しいって事なんです。
実際の犯罪シーンでも、ワイドショーでは、発表された動機に対して、コメンテーターはわかりやすい物語をあてはめようとします。
幼い頃に、このような犯罪を犯す人格になったきっかけがあるのではないか?
この視点から調査が始まって、わかりやすいエピソードを見つけ、それをあてこんで報道する。
人々は、動機にわかりやすいストーリーが当てこまれると「ああ、やっぱり」と自分は違う事に安心する。
こんな構図です。
この小説は、そんなわかりやすいストーリーに真っ向から挑む、異色のミステリーだと思います。
人は、どうしても人をわかったような気になって、自分の常識に当てこんでしまう。
それが、人を苦しめてしまう事も、自分の解釈を狭める事にもなる。
人間は他人を完璧には理解できないことは知ってるのに、分かると思っていた自分が怖い。ああ、怖い。
これは、帯に書いてある感想です。
誰もが、こういう気持ちってあると思うんです。だけど、それはとても怖い事。
そんな事に危機感を持っている人に、一度読んでみて欲しいオススメの本です。
あなたの好きな事や、ありのままの発信を、わかりやすいストーリーに当てこまれたとしても、気にする必要なんてないんです。
周りを見渡せば、必ず理解してくれている人がいるはずなんです。
その人に向けて発信を続けていきましょう。
そうする事で起こる奇跡を知ってるはずだし、それで得た事がたくさんあるはずですから。
それにしても、貫井作品はやっぱりおもしろいなぁ。過去に、貫井作品の事を書いたブログもありましたね。
あなたは人の為に泣くことができますか?いや、哭くことができますか?
小説からの学びって本当にたくさんある。
『微笑む人』もしこのブログで知って、読んでみた人は感想を教えて下さいね。