最近改めてエッセイの魅力にハマってる。ハマってるといっても年が明けてまだ1冊しか読んでないのだけれど、その1冊を読みながら何度も「いいなぁ」「おもしろいなぁ」と思いながら読んでる。1冊の中で何度もそう言ってるのだからハマってると言っても差し支えないだろう。
その読んだ1冊がこちら。
ご存知、さくらももこさんが1999年に出された本。離婚直後に書かれた本ということもあって、そのことにもサラッと触れている。いろいろあったのだろうな…と大変さを連想させられる描写はあるけど深刻さはまるでない。そこがさくらももこさんの魅力。
今日はこの「さくら日和」の感想からエッセイの魅力について考えてみる。そして、SNSで自分を発信するなら、変なビジネス書を読むよりエッセイを読んだ方がいいという結論に達した。これについて詳しく書きますね。
さくら日和内容紹介
21世紀を前にして、人生最大の危機に陥ったももこさん。「ママは本当はさくらももこなんじゃないの?」と息子が疑いを抱き始めたのだ…。「深まる息子の疑惑」はじめ、父ヒロシを連れての社員旅行など、抱腹エピソードが満載。「おめでとう新福さん」で前代未聞のパーティーの主役となった、元担当編集者からの渾身の質問をお楽しみ巻末付録に。人気爆笑エッセイがますますパワーアップして登場。
まず、さくら日和の内容をAmazonの紹介文から引用。
ママがさくらももこなんじゃないか?と疑う息子さんとのやりとりや、ちびまる子ちゃんでもおなじみの父ヒロシはもちろん、お母さんやお姉ちゃんとの日常も満載。
「おめでとう新福さん」
では、担当編集者をただただ讃め称えるという前代未聞の会が、驚くほど本格的に企画されて実行されるという…言うなれば身内ネタ全開の内容になってる。
ただの日常ではあるのだけれど、さくらももこさん独特の淡々としながらも小気味よいテンポある語り口調で話が進み、クスッと笑ってしまうところや、思わず爆笑してしまうところがある。
さくらももこさんの心情や、周りの人たちの発言や行動が細かく描写してあるので身内ネタながらも身近に感じる。
「ママはさくらももこなんじゃないの?」という息子さんからの疑いを困惑しながらも交わす様子はこっちまでハラハラしてしまう。考えてみれば国民的漫画の作者がお母さんだなんて、普通に考えたらありえない…けど、子供からしたら感じるところがあるんでしょうね。おもしろい。
これらの一連のエピソードから、さくらももこさんが普段の生活から「何を感じているか?」「何におもしろがってるのか?」がよく伝わってきてファンとしては嬉しい内容。
エッセイの魅力
さくら日和を読みながら、改めてエッセイの魅力について考えてみた。
その前にエッセイとはなんなのかを説明しておきたい。エッセイとは…
文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。
難しく聞こえるが、要は日常の実体験で起きたことから、何を感じて、何を思ったか?を書いたものである。
日々を綴った、いわゆる日記的なブログも日常に分類されることが多い。
このさくら日和を読んで僕が感じたことは…「ああ、くだらなくて楽しそうな日常だな」「さくらももこさんは、こんなところに変なこだわりがあったんだな」というような、作者の人柄がものすごく伝わってくるなってこと。
役に立つハウトゥ本や創作物語ではなく、そのままの日常のカッコ悪いところもストレートに綴っているので、作者を身近に感じることができる。
例えば、息子さんが保育園をズル休みしたがるというエピソードがある。説得する為にさくらももこさんが「あんたがズル休みしたがる気持ちもわかる。ママもそうだったからね」と言ったが最後。ママもそうだったんならオレも堂々とズル休みするぞ!と、息子さんを変に意気込ませてしまう結果になってしまう。
それを見ていたお母さんに怒られたさくらももこさんは、息子さんに「さっきのは嘘だよ。毎日行くのが楽しくてしかたなかったよ」という明らかな嘘をつく。あまりに見え透いてて、あっさり見破られて説得に失敗するシーンだ。
まぁポンコツな母親じゃないですか。子育てのハウトゥ本には絶対書かいてないでしょう。でも、現実ってこんなものだと思うんですよ。自分のことを棚に上げて子供に注意して、見破られること…わかるなぁって人は結構多いんじゃないですかね。
「キチンとしなくてはいけない」という、飾ったところがないエピソードの数々を読む度に「さくらももこさんってこんなダメダメなんだ」と知ることができる。それは親近感にかわり、「私もそのままでいいんだな」って思える。こういうところが伝わってくるのがエッセイの魅力だと思う。
SNSで個を発信する人はエッセイを読んだ方がいい
エッセイには、その人をそのまま伝える魅力がある。ある出来事で思ったこと、感じたことをそのまま伝えることにより、まるでその人の人生に参加してるような気になる。
読み手の共感を呼び「こんな人生もいいなぁ」とか「私もこんなこと思うなー、これでいいんだ」という救いにもなる。
無理に役に立とうとしなくても、そのままの人生をそのまま表現することで、誰かの価値になることがわかる。
ただし、感じたことを偽って書いてはダメだ。どんなにカッコ悪くても、どんなにダメダメでも、自分自身をそのまま書かないと伝わらない。起きた出来事に対して、自分がどう思ってるか?が大事だ。
そこに表現の上手さやテクニックがあるのは間違いないだろう。さくらももこさんの文章は圧倒的におもしろくて、らしさがある。
だけど、ほとんどの人が文章をプロ並みに書くということは難しいこと。もし自分の気持ちを表現できなくて悔しいなら、その悔しささえも書いてしまえばいい。それに救われる人も多いんではないかと思う。
大事なのはそのままを書くこと。飾らない。カッコつけない。
そうすれば、読んでくれた人はあなたのことを身近に感じると思う。
SNSの登場で、国民全員が総お隣さんになったともいえる現代。知ってるか知られてないか?親近感があるのか親近感がないのか?の差は大きい。つながりの数はそのまま資産になる。
今回のさくら日和には、さくらももこさんの周辺人物がたくさん登場する。前述した新福さんなどがそうだが、さくらももこさんがどんなに有名とはいえ、その周辺人物はあくまで知らない人だ。でも、このエッセイを読むと新福さんを身近に感じるという人が多いのではないか?
それは、文章の上手い下手よりも、さくらももこさんが”自分”というフィルターを通して、感じたことをそのまま書いているからだと思う。有名かどうかが重要なのではなく、感じたことをそのまま書けてるかどうか?が重要なのだ。
日常で感じたことをそのまま書くことも価値だということを知ることは、SNS発信においても重要な役割を果たします。
変なビジネス書を読んで、誰かの言葉で世の中の需要に合わせた自分を語るのではなく、背伸びせず自分の現状、そこで感じたことを語ってみてください。それを物語として読んで、勇気付けられる人は必ずいるはず。
人生丸ごと売る時代がきたなぁと思う。そのヒントはエッセイに詰まってると考えるのです。
ビジネス書ばかり読んでないでエッセイを読もう。
さくら日和感想
さくら日和を読むのは実は2回目。1999年発売当時に1度読んでおり、それ以来となる。それぞれのエピソードの詳細などはすっかり忘れてたので新鮮な気持ちで読めた。
さくらももこさんが健康に気をつかっている話や、お母さんが心配性だという話を読んでいると亡くなられた事実を思うと胸が苦しくなる場面もあった。
第1章にこんなエピソードがある。
自分が死んでも遺作フェアがあるから、残された会社も安心です!と意気揚々と語ってるシーン。
また、死後の世界は私はあると思ってる派だと話しているシーンもある。
さくらももこさんの逝去は、僕にとってまだまだ悲しい出来事だけど、明るい形で作品が残ってるのがいいなって思いました。改めてさくらももこさんありがとう。
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