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他者目線についての僕なりの結論が出ました

本当は今日も今からkussunガレージに行って、YouTubeの撮影と編集やその他諸々のビジネスの打ち合わせがあるんだけど、どうしてもブログに書き留めておきたいことが浮かんだのでメモ書きしておこうと思います。

なお、YouTubeやブログをやればやるほど、それ一本で生計を立てることのリスクを実感します。YouTubeやブログで稼ぐって聞こえはいいけど、結局はGoogleに命を握られてるということですからね。それらに縛られるのではなく、うまく利用して個としての自分を伝えていきたいものです。逆にいうと、それができてるYouTuberやブロガーはどんなフィールドでもやっていけるでしょう。

さて、いきなり話が逸れましたが他者目線について。

他者目線について

多くの人が他者目線を持とう!想像力を持って相手と接しよう!と言いますし、僕も言ってきたり、気をつけたり、その壁を無作為に超えてこられるとイラッとしたりしてきましたが、ここに来てひとつの結論が出ました。

他者目線を持つことは不可能だと…

いや、これだとちょっとニュアンス違いますね。

コミュニケーションのない他者目線を持つことは不可能だと…

そんな風に今の僕は思っています。どういうことか詳しく説明しますね。

自分の思っていることの裏返し

他者目線とは、相手の気持ちに立った物事の見方だと思います。ということは、あくまで相手の気持ちになってるようで、それは自分の思ってることの裏返しでしかないということです。

僕は知らない人から無作為にメッセやDMを送られるのが嫌です。だから自分ではやらない。(接点ない人に)本当に連絡必要な場合は、出来るだけ正式な形で連絡取ろうとします。その人のイベントに行ったり、WEBサービスなどやってたらそれに申し込んだりとか。相手の時間をできるだけ尊重したいと思います。

その反面、メッセやDMをもらうことが嬉しいって人もいると思います。「知らない人から連絡きた!すごい!嬉しい!」と思う人がいてもおかしくないでしょう。その人が他者目線を持ったら「相手が喜ぶからメッセやDMを送ろう」となるわけです。正解があるわけではなく、自分が思っていることの裏返しでしかないのです。

置かれている状況によって変わってくる

これは自分が置かれている状況によっても変わってくるのだと思います。思えば、僕もSNSを始めた時は知らない人から連絡が来ることに「すげー!オレの発信が届いてる!」って感動したものでした。ただ、それが毎日何件も…しかも無造作に踏み込んでくるものが増えてくると辟易してくる。

例えば、僕は街を歩いてると稀に声をかけられます。「わいざんさんですか?」と。

これは正直嬉しかったりする。ただ、それは1ヶ月に1回あるかないか?の頻度だからだと思う。これが毎日になるとウンザリして「街中で知らない人に声をかけてくるやつは迷惑!」とか手のひら返して言いだすと思う。

そのくらい、人が喜ぶポイントと迷惑に感じるポイントは紙一重であって、同一人物でも異なるというのだから難しい。人によって違うのは当たり前で、それを「想像力を持って優しくしろ!」とか言われても無理。萎縮して行動が制限されてしまうと元も子もない。他者目線という言葉で人の行動力を奪ってはいけない。

ではどうすればいいのか?そこで僕が先ほど付け足した言葉に意味がある。

コミュニケーションが必要

『コミュニケーションのない他者目線を持つことは不可能』

これですね。ここで僕のいうコミュニケーションとは「発信すること」であり「その発信を聞くこと」です。

要は、自分の嫌なこと、好きなことをしっかりと明言しておくことです。で、それをしっかりと聞いて、相手が嫌だって言ってることはしないか、それが納得いかないなら近寄らないことです。

厄介なのは、嫌だということを明示することを批判と捉える人がいるということ。

「僕は差し入れが嫌いです」

と言ったとしたら「でも●●の場合は…」とか「その意見は差し入れしてる人の気持ちを…」とかそれぞれの意見が飛んでくるけど「困るからやめてください」って言ってる人は、別に差し入れ必要って言ってる人を否定してないと思うんですよ。

ただ、自分にはやめてほしいと言ってるだけ。

意思表示を否定と捉えない

自分がしてほしくないことをハッキリ言ってくれることは優しさであり、自分を守るための権利だと思います。その反対にいる人も当然いるけど、それを「傷つく人もいるからそういうことは言うな」とイチイチ否定に捉える人が1番優しくない。

だってそれは、自分のしてほしいことは自分が悪者になるから言わず、相手に察しろ!ということでしょう。もしくはされても我慢しろ!自分を殺せ!と言ってるかのどちらか。

それは傲慢だと思います。言わないと人の気持ちなんてわかるわけない。だから僕は、今必要なのは「嫌なことを明示してもいい」って文化と、それを受けた時に例え自分がその価値観の反対側にいても、それは否定されてるのではなく、その人が嫌なだけなんだなって受け取れる器量だと思います。

他者目線はNOを伝えるところから始まる。自分が大衆に悪者と思われても「これはしないでね」って伝えれる人が1番他者目線を持ってるのだと思います。

それを悪意に捉える人が1番問題だと思うのです。

その裏には「察しろ!」か「我慢しろ!」があるわけでしょ。

想像力で補える他者目線はあくまで多数派にいるってだけの話です。で、もちろんビジネスだったりマスを相手にするエンタメではこれが大事なのは間違いないんですが、全員がここにいなくてもいいでしょ。

人の気持ちは千差万別です。それぞれ違う。わからないものを探り合うより、気持ちを伝え合って尊重したらいいじゃないですか。そのコミュニケーションこそが他者目線だと思います。

それで周りに集まってくれる人と過ごしたらいいじゃないですか。

僕からは以上です。20分くらいで一気に書きました。ではガレージに行ってきます。良い日曜日を!

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