一般的に終戦記念日として知られる8月15日。
facebookにて、本当は1952年のサンフランシスコ講和条約の発効まで、戦争は続いていた事を書きました。
今日は停戦の日です。
71年前のこの日に、玉音放送により日本の降伏が国民に知らされた日です。
この後、サンフランシスコ平和条約が発行されるまで、厳密には戦争は終わってはいません。
ただ、天皇の声が直接公共の電波に乗るという事と、その内容のインパクトが大きすぎた為、この日を終戦記念日としているのかと思います。
大事なのは、戦没者を追悼し、平和を祈願すること。
この日が日本にとって歴史的な日である事は変わりありません。
あの時代、欧米列強に敗れて、植民地にならなかった国は日本だけです。
この事実だけを見ても、いかにこの8月15日以降の先人たちの努力や、日本という国の歴史が他国に評価されていたかがわかります。
感謝して、次の世代に繋ぎましょう。
平和への祈りと共に。
教科書には載ってない史実
この日が歴史的な日だという事はみんな知ってると思います。
ただ、教科書には載ってない史実として、そこで終わりではなかったことを知ってもらいたく投稿しました。
歴史の事実を正確に知る事は非常に重要です。
知る事で、必ず自分の未来にも役に立つと思ってるから。
そして、8月15日以降の戦争はこれだけではありません。
あまり知られてないのですが、実際の戦闘がありました。
武装解除して停戦状態になった後、8/18〜21の間にソ連は千島列島の最北端である占守島に攻め込みました。
停戦の意思を伝えてるにも関わらずです。そこで、日本は上陸を防ぐために戦いました。
これが占守島の戦いです。
ソ連が攻めてきた理由は、終戦後の占領地域を巡ってアメリカとの交渉のもつれからでした。
アメリカが提示してきた地域を不満としたソ連は、北海道の占領を目指して攻めてきたのです。
占守島の戦い
ソ連が攻め込んで来たとき、日本はポツダム宣言を受諾して武装解除してました。
侵略に気づいた第5方面軍司令部の司令官である樋口季一郎中将は、自衛の為に戦うか、戦闘行為を禁じていた大本営の指示に従うか悩んだ結果、戦いました。
日本は優勢に戦いソ連軍の上陸を足止めしたものの、軍命により21日に降伏。
多くの日本兵が捕虜になり、シベリアに抑留されました。
その間に、GHQが北海道に到着し、アメリカに北海道は占領されました。そして、本州と同じく占領政策を受けます。
もし、ここでソ連の上陸を防いでなければ、北海道はソ連に占領されていたかもしれません。
まとめ
この占守島の戦いは、武装解除後の戦闘でした。
ソ連からは、樋口中将を戦犯として引き渡せという話もありました。
しかし、この戦いからは、自存自衛の為には戦う事も必要だという事がよくわかると思います。
樋口中将の決断がなければ、北海道は満州や南樺太のようになっていたかもしれません。
日本は分断されて、ドイツや朝鮮のように北海道に社会主義国家が誕生していたかもしれない。
この、終戦後に日本を守った戦いがあった事も忘れてはならないと思うのです。
Facebookに8月15日は正しくは停戦の日だと投稿した記事を、ひとりの若者がシェアしてくれました。
彼は、戦争を知らないからこそ、知っておくことが大事だと思ったと言います。
僕も戦争を知る世代ではありません。
ただ、先人たちが残してくれた日本を次の世代につないでいく為に少しでも力になれたらいいなぁと思うのです。
平和への祈りと感謝を込めて。